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仕事を辞めて、実家に帰る

考察をブログで行ってみる。

 

ずっと親と実家のことは気になりつつ、なかなか帰れないまま過ごしていました。ですが遂に仕事を辞めて、実家に帰る決意をしました。

決定打になったのは、親が心配という気持ちが消えないからという理由でした。こういう決定打になる理由というものは、対外的にも納得してくれやすいもので、私自身そういうものを前面に見せようとする人間なのだなと改めて理解したわけであります。

実際には今の仕事を続けていてもいつか辞めてしまうのではないかという将来不安や、その仕事は確かに続けようとすれば続けられるがそうなった先はたして自分自身が幸福なのかを問いかけた結果でした。結局のところその仕事を生涯続けたとしても自分は大した幸福感を得られないだろうという未来予想図の絵ばかり思い浮かんだわけです。

 

 

さて、仕事を辞める決意をしたものの、実家に帰って何をするのかが問題になります。まずしばらくは失業保険で生活することになりそうですが、とはいってもそれほど貯金があるわけでもなく、何か新しい事業を始めたいと考えながらも何をすればよいのか思いつかない現状です。

やれることと言えば確かに今就いている仕事に関するものになるわけですが、まずその仕事が少ないうえに、同じ道を歩んだとしても幸せかと問いかければ、また未来予想図は変わっていないように感じるわけです。

結局のところ、最初に楽しい未来予想図をおもい描けない限り、その未来に進む必要はないと思ってます。人生にどんな未来が待っているのかは予想できないけれど、そのおぼろげな未来予想図を実現したいなと思えないと私は努力できない。少なくとも現状これから向かう先の中間地点として、資格は取得する未来予想図は確定。だけど、資格を取ったからと言ってすぐに仕事になるわけじゃない。実際仕事をしながら資格を取ることだって出来るわけで、何故一度態々辞めたのっていう話になる。

こういうときに自分の頭の中がまとまっていないのが嫌になる。もっと計画的にできるはずなのに、その計画通りに進むのを嫌がっている自分もいる。そもそもの原因が何かなって思うと、最終的なゴールがまるでみえていないことがやはり要因だと思う。自分は現状を整理するにせよ、やみくもに中間地点として定めた未来予想図に向かうだけだと満足できない人間であるようだ。中間地点に餌でも落ちてればそれに向かって努力はできるんだろうが、あいにく義務感から定めた中間地点なもんで、その資格を取って何が出来るのっていう方向に思考が進まない。実際に取ろうとしている資格は、実家の仕事には必要である。だが、それを今後ずっと続けることは難しい。なぜなら、そもそもその家業は斜陽産業で、それだけでは暮らしていけないと予想していて、さらにたとえそれをやったとしても現状の仕事と同じく幸せになる未来予想図を思い描けていないからだ。

つまり、私はやっぱり幸せになっている自分自身が想像できる絵を描きたいと思っている。なんにせよ、目標の実現予想図がほしいのだ。だけど、往々にしてこういうことを机の上で考えても答えが出ないことが多い。というわけで、ブログに今吐き出してみているが、成果は出るのかしら。目標をどうやって目標にするのか。個人的に、やらなければとかやるべきだけで決める目標に対して人生を賭ける気にはなれなかったし、今後もならないと思う。もちろんこういうshouldやmustも目標に向かう上で大切な燃料にはなるんだけどね。それでもやはり大事なのはwantだと思ってる。今から思い描こうとしている目標にはwant要素が必ず必要だ。逆に言えば、今から実家に帰って何をしたいかを最初に思い浮かべることが近道なのかもしれない。それくらいwantを思い浮かべられていない。実家に帰ったとしてしたいことは何か?それを実現するために目標を立てるのが早いように思う。

そのためには捨てた進路と、これから得たい何かを考えるのが良いのかな?もしもその進路に進んでいたら、なにが得られていたのか。だがそれを目指して達成した瞬間に得られる幸せに価値がないように感じたのだ。だからその道を進むことを辞めた。絵が違った見え方になったわけだ。その業界に対する失望も大きい。そしてそれと同じものを目指してもしょうがない。結局実家で私が幸せにしたいと思える人のために働きたいという考えが根幹にあるように思う。今はたらいている職場に、幸せにしたいと思える人間はほとんどいない。幸せにしたいと思えない人のために働きたくないと思ってしまう。これは今後もビジネス上よくない考え方だとは思う。もっと平等に人に幸せを与えられるくらいの人間にはなりたいけど、都合が良いだけの存在に成り下がるつもりもない。だけどやっぱり人は好意で行動を変える生き物だと思っている。これから実家に帰るにせよ、出来る限りいろんな人に好意を持てたらいいなと思ってる。もしも好意が尽きた時に、自分自身のやりたいこともどんどん少なくなるんだろう。生活環境を変えて好意からその人のために努力したいと思える人のために今後生きていく決意が、仕事を辞めて実家に帰るっていう結論を出させたんじゃないかなと思う。

理想を言うなら、仕事さえもwantになる。つまりプロセスすら楽しめるのが生き方として最も幸せで、そのためには周囲の人たちと良好な人間関係と、目標共有を行っていく必要はある。その意識を失ったら自分はますます不幸になるんだろう。アドラーも人間関係が良好なら人生が楽しいみたいなことを言ってたな。周囲の人間とギスギスした世界に生きれるのは自己愛で狂った人間が多いような気がする。少なくとも私はその世界の人間のために努力するなんてことはあほらしく思ってしまう。

自分が弱いともいえるんだろうか?確かに昔は自分の目標を掲げて嫌な人間とたくさん仕事をしてきた。だが、その目標に近づくにつれて、現実が見え始めたのだと思う。イカロスみたいなもんか?違うかな。イソップのキツネ?抑圧ともちょっと違うな。まあ、大した良い例えも今浮かんでこない。夢が夢と思えなくなったってことだね。どうも輝かしすぎた。お花畑すぎてた。現実はその目標達成したところで大きな喜びにはつながらないなって思った。一人歩きしてた。途方もない目標を立てていたものだから。Boys be ambitiousという言葉が今の自分には、その野心を利用して咲いた花をつみ取って喜ぼうとする人間たちにとって都合が良いから引用される言葉に聞こえてしまう。かといって、確かにその夢が夢であるうちは楽しく向かうことができた。やっぱり夢の実現に向かって努力するうちに、その夢を彩る人間に出会うことは肝心だなあと今なら思う。その夢の実現像に入ってきてほしい人間に囲まれていることが夢の実現に重要な因子だと思う。人は社会的な生き物であるがゆえに、自分の周囲にどういう人間を置くかは大事だなと思う。少なくとも夢を抱えるなら、夢の実現図に共に一緒にいたい人間と進むべきだ。そういう人と出会えることが幸せだと思うし、幸い私にもそういう人間はいる。大事にしていきたいと思う。

と、考えるなら、やはり大事だと思える人間と何をして楽しんでいるかを思い描くことが今から考えようとしている一枚絵の完成までの過程の一つなのかもしれない。そう考えると正直これまで目指してきた夢は自分一人しか最初完成図にいなかった。仕事を始めて徐々につきあいだした人との関係を考えていなかった。確かに夢の実現にどんどん進んで言ったけど、それを共有する人間を見つけてこれなかった。共有したいと思える人間は別の道に進んでいった人ばかりだ。コミュニティ内でその目標を腹に持つ人間は沢山あれど、腹に抱えて一人でそれぞれが目指していた図になる。一人で達成できる目標じゃないとみんな知りながら、お互いに協力関係を築けなかったことが自分自身の失敗なのだろうな。教訓にしたい。

 

ここまで、思いつくまで連想して今後の夢にについてつらつらと述べてきました。テーマを絞り込んで考えれてないけど、自分自身の納得のためにはその周囲を明確にする必要があると思ってるから、まあこういうあるテーマを中心にした雑多な思考方法は悪くないと思う。人に説明しづらいけど、まさに東洋型の思考方法だと勝手に思ってる。中心に大事なものを思い浮かべて、それに関することを考えていく。この思考の中心にあるのは「今後何を目標として生きていくか」っていう問いだ。

このぐるぐる周囲を駆け巡る思考をして、改めて自分の気になるテーマを上の文章から抽出してみる。

①仕事を辞めることに対する自身の納得

②これからの目標を定めるためにwantを見つける

この二つが結構重要なテーマだと思った。①は納得と共に、おそらくこれから向かう道にとってプラスにしていきたいと思っているからだと思う。どうも現状が整理されていなかったから、どうしても考えちゃう。でもおかげで大分まとまったかな?そして向かう先は②で、①をだいぶ考えたおかげで②を行う準備が整ってきたように思う。次は②だな。

 

いったんここまで、気が向いたら②の考察もブログで行うかな?